2007年の暑い盛りに、娘を出産した。
結婚9年目に授かった命を胸に抱いた時、みなぎる命のパワーに自分までが包まれた気がした。か細い手足は、産まれてきたことを確認するかのように、一生懸命に私の胸やお腹の上を触ったり、蹴ったりしていた。娘は産まれた瞬間に大きな声で泣いたけれど、私が声をかけると、安心して、胸の上で一生懸命に目を開けて、私を確認しようとする。ほっとして、私に体を預けている、そんな感じだった。
陣痛が来た時は、「陣痛だ!やった!」、そんな感じで、興奮した。やっと会える、そう思うと、痛いというより、嬉しくて仕方がなかった。痛みが激痛に変わっても、どこか冷静に、赤ちゃん今どのあたりかな、と、考える自分がいた。赤ちゃんが産まれて来た時、助産院の先生が言った「ようやった、よう産んだ。」と言う言葉を一生忘れないと思う。
痛い思いをして自分が産んだはずなのに、隣にいる赤ちゃんを見ると不思議で仕方なかった。
「この子はいったいどこらやって来たのかな?」
命が産まれ出てくるという事は、本当に不思議だ。昨日までこの世にいなかった赤ちゃんが、小さく、はかなく、それでいて強烈な存在感を示す。
不思議、不思議、本当に不思議。お産の後は、何日も不思議な気持ちに包まれていた。
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陣痛は痛いけれど、痛みに値する以上のものが授けれられ、不思議な気持ちと幸福感が交互にやってくる。出産ってなんて幸せなんだろう。
また産んでみたいな。出産後赤ちゃんを抱きながら、すぐにそう思えた私は、きっと本当に幸せなお産を経験したのだと思う。
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