人間って、何でも、慣れ というのか順応性というのはすごい、とつくづく感じる。
グレートバリアアイランドで幼少期を育った私の旦那は、
子供が出来たら、「田舎に住みたい」の一点張りだった。
大阪、神戸で一緒に、7年暮らしていた彼は、日本に疲れ、都会に疲れていた。
私の方は、子供の頃から、大人になったら都会に行きたくて、
大阪にでて18年、すっかり都会暮らしが根付いていたのだが。
そして、私たちが選んだ、NZでの新転地がMATAKANA WARKWORTH。オークランドから北に1時間、WEST COSTの町で、緑、海、もちろん羊とまさしくこれこそニュージーランドという地だった。
遊びに来るなら、まだしもここに住むのである。隣の家は100m以上は離れている。夜の街頭はないし、もちろん24時間あいているコンビニもない。
「怖い、淋しい」というのが、私の数か月の現状。知り合いもいなければ、日本人も見当たらない。しかも、私は英語もおぼつかない。
食べ物も、ASIA FOODはCITYの方まで行けばあるが、この辺にはない、、、。
日本で働いていた私が、今では2人の子の専業主婦。
1日家で、3食の用意、片付け、掃除、洗濯にあきあきし、いつも気分はブルー。
この美しい自然すら、美しいとは思えなかったし、目にも入らなかった。
しかし、オークランドのCITYの近くより、ここの方が子供たちにとっていいのはわかっていた。
もちろん私たちにとっても。
それが、私にとって、「美しい、楽しい」に変わるまでは、2年かかった、というのが実際のところ。
慣れてしまえば、今では、これがなかなか心地よく、気持ちいいのである。
もし、隣に家があれば、今ではかなりうっとうしい、と思う。
友達を呼んでのホームパーティも、多少、夜遅くなっても、音を気にすることもない。
信号や、車の渋滞にストレスを感じることもなく、アクセルはずっと踏みっぱなし。
車で、5分も走れば、デイリーやパン屋、肉屋、ベシショップもあるので、田舎と言っても言うほど、不便ではないではないか。
よく田舎の人に道を聞いて、「あー、すぐそこよ」と言われ、目的地に着くまで、かなり遠くかかった。という経験はないだろうか。
私も、そうで、「すぐそこって、15分もかかったじゃないの!」ということがよくあったが、今では良く理解できる。
距離や時間に対する感覚も、ここに住んでいれば、15分ぐらい、なぜか「すぐそこ」となってしまうのである。
そう、ここは、田舎TIMEで時が過ぎているのです。
夏は、夜9時ごろまで明るく、毎日、デッキから谷に沈む夕日を見ながら、今日の1日の終わりを感じる。西の空は、オレンジ色に染まり、東側の海、空は、太陽の反射でピンク色に染まる。
その頃に、ちょうど、月がやってくる。海の上にぽっかりと、「月ってこんなに大きかったのか」と思わせる。
街頭はなくても、フルムーンの日は、月明かりの明るいこと、明るいこと。
都会のネオンが恋しかった私が、この月明かりで満足しようとは、、。
月で雲がくっきり見えたり、建物の影が見えるのを、この国に来て、始めて知った。
言うまでも無く、星の美しさ。星どおしが、接近して無数に輝いているのだ。
しかし、心が健康でないと、この美しさを感じ、楽しむことはできない。
ニュージーランドに来て、トータル2年半。
ようやく、田舎暮らしに慣れ、楽しむということができはじめたところである。
|